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IKKOさん
スペシャルインタビュー

生きる道はここしかない。ひたむきに努力した美容師時代

このインタビューを受けることになって、私の人生にとって挫折ってなにかしらと振り返ってみたら、最初の習い事をやめてしまったことだと思い当たりました。

小学校2、3年の頃、自分で望んで空手を習い始めたのだけれど、しだいに億劫になって1年ほどでやめてしまったの。自分で決めたことなのにね。そして私はこんな感じだったから、中学、高校くらいになるとだんだんいじめられるようになって…。そのとき、ああ、空手を続けていたら自分自身の人生くらいは自分で守れたのに、と心の底から悔やみました。

だからこの次に自分がやりたいと思ったこと、自分が決めた人生に対して同じ過ちは二度と繰り返さないと誓ったの。当時、いじめに対しては単純に逃げただけ。私に投げつけられるひどい言葉を聞かないようにするには、人に会わなければいい。だから母の経営している美容室の片隅が、当時の私にとって唯一の居場所だったわね。母の手によって女の人がだんだんきれいになっていく様子を見ているのが好きだったし、気持ちが妙に落ち着いたの。

当然のように美容師になろうと決意し、福岡の美容専門学校を卒業したあと、19歳で横浜の美容室に(インターン生として)入りましたが、ここがまた厳しかった。「ものになる子」を育てるためには当たり前の大切な厳しさなんだけど、若い頃はなかなかそれが分からないのよね。

毎日毎日、「なにもできない」「とろい」と叱られて、もう生きている価値もないくらいによ(笑)。試験でもなかなか良い結果がもらえなくて、納得できずに先生に訊ねたことがあるんです。そうしたら「あなた、なに言っているの」と。「緊張するのはみんな一緒。試験で結果が出せないということは、あなたに実力がないということよ」。本当に人生の勉強ですよね。

それからひたすら練習に練習を重ね、緊張して頭が真っ白になっても勝手に手が動くくらい練習に没頭しました。最初の夏休みには練習のやり過ぎで体重が55キロから49キロになっちゃったわね。同時に自分に度胸をつけるためにワインディングコンクールをはじめ、たくさんのコンクールに出場しました。必死だったのよ。もう私が生きていく道はここしかないと思っていたから。

住み込みから始めて8年間。5年目でお店のトップになりましたが、私は「3年くらいトップを続けないと本物になれない」と思っていたので、さらに3年間そこで働きました。そうするうちに、次にやりたい道が見えてきたんです。27歳でした。

完璧なヘアメイクの追求から「IKKOという生き方」へ

30歳近くになってヘアメイクの仕事を志した私ですが、コネがあるわけではないし、本当にゼロからのスタート。最初の頃は週1、2回アシスタントに通うだけで、もちろん仕事はないわよ。ヘアメイクの勉強もしなきゃならないし、引越しに備えて貯金には手をつけられない。

ギリギリの生活で、暑い日もコーラ1本買えなかったり、雨の中最終バスに乗れなくて、駅から自分のアパートまで大バックを2個持って歩いたりもしたわ。
そんな生活が続き、芽の出るきざしも見えないと、自分はもしかして人生の下り坂にいるのかも、と心細くなったこともあるの。美容師時代はご飯も食べられないほど忙しくて、そういう生活がふと嫌になったこともあったのに、辞めていざ仕事がないと「辞めなければよかった」と悔やみそうになる。人間ってホント勝手なものよね。
でもそんな私を戒めたのは仲の良い友人の存在でした。横浜の美容室でライバルでもあった彼女は、私と同じ頃に店を辞めて、次にやりたい道を見つけていたはずなの。だけど重い病気になり身体が動かせなくなってしまったの。
彼女に比べたら私は健康に恵まれて自分の道を進めているのに不平不満だらけ。「しっかりしなくちゃ」と目が覚める想いがしましたね。

いよいよ横浜の家を出るときは、それまでの自分の身の回りのモノはみんな捨てました。だって新しく、どん底から始める人生に必要ないでしょう?
持っていったのは洗濯機と炊飯器と冷蔵庫、あと布団と最低限の服くらい。ただ姉から貰った布団乾燥機だけは思い入れがありましたね。乾燥機が手放せないほど湿気の多い部屋に住んでいた私への、姉からの心遣いだったから……。涙が出るほどうれしかったし、今でもその頃の事を忘れないよう愛用しているの。

やがて順調に仕事が来るようになり、「アトリエIKKO」を設立した30代前半は、ひたすらヘアメイクアップアーティストとして完璧を目指した日々でした。
その当時は裏方として「すごいわね、この人」と言われることしか興味がなかった。だから一番嫌なのは、「私の今日のメイクはどう?」って雑誌編集の方々に訊ねたときに「大丈夫ですよ」と返されること。大丈夫って「平均点」ってことでしょう? 平均点の仕事にリターンはないのよ、だから私にとっては「イケてない」の。そう言われると私のやる気がメラメラと燃え上がって(笑)、完璧なまでに完璧を追求していたわね。もちろん事務所の子たちも真剣に育てようとしていたからすごく厳しかった。
あまりにもストイック過ぎたんでしょうね、30代の後半にすごく体調を崩してしまったの。でも病気になったことがきっかけで、自分の人生や私を取り巻く人々の人生など、いろいろなことを考えることができ、その過程で新しい生き方--ヘアメイクアップアーティストではなく、違う路線の「IKKOという生きかた」を模索し始めたんです。
37歳から42歳くらいまでははっきりとした形がつかめず迷ったけど、その時期は種まきの準備であり、次のステップのために踏まなきゃいけない過程だったかもしれない。こうした模索の日々が今の私を育ててくれた!

中途半端はイヤ。誠実に生きることが大切

今度、コスメのアカデミー賞と言われているボーテ大賞(初の人物賞でプラネット・ミューズ賞)をいただくことになりました。これは本来化粧品に与えられる賞で、人物が選ばれるのは初めてなの。

また、いまフェンディがチャリティオークション出展用に、自社のクラッチバックを女優など世界中の著名人に持たせてサインや絵を描いてもらう企画を進めているんだけれど、その50人の中にも選ばれました。

美容家としての自分を表現するため、ひと月の衣裳代は何百万円もかかってしまうけど、どんなに苦しくても自己投資にお金を使うというポリシーを貫き通したことがIKKOに対する注目と評価につながり、いまこのように実を結んでいるわけです。だから、自分の決めた道に対してぶれてはいけないということね。
これほど支持されている理由? よくわからないけど、やはり「誠実に生きる」という姿勢じゃないかしら。誰に対しても後足で砂をかけることだけは絶対にしたくない。

たとえば、まだヘアメイクとして芽が出なかった頃、どうやって食べていたかというと、「どうしてもあなたにカットしてほしい、どこにでもついていくから」という美容師時代のお客さんたちが10数人いて、自宅でカットのアルバイトをさせてもらっていたの。忙しくなってもずっと。
最後、忙しくてとうとう手が回らなくなったときは心から感謝するとともに、一人ひとりに合った美容室を紹介したわ。アトリエIKKOを解散するときも、うちの子たちに専属の仕事をいっぱい持たせてあげた--中途半端はとにかく嫌だし、人を裏切ることはもっと嫌だから。

情が深いって?そうよ、この情の深い性格がね、命取りになることもあるのよ(笑)。情にほだされて遠回りもいっぱいしたし。でも、その遠回りすらも成長の糧だと思うわ。

私の話が役に立てばいいのだけれど、最後にこれから人生を決める若い人たちに伝えたいのはひとつだけ。
あなたが決める人生でしょ、ということ。
あなたが決める人生だから適当に学校を選んだら絶対ダメ。学校見学や体験入学にしっかり行って本当に自分に合う学校を見つけてほしい。いい? 義務教育と高校を終えて専門学校に入るということは、あなたが決めた人生の第一歩なのよ。だから後悔しないように、自分自身でしっかり決めてくれることを祈っています。

愛をこめて。IKKO

Profile プロフィール

IKKOさん(美容家)

1962年福岡県生まれ。北九州美容専門学院を卒業後、横浜の高級美容室「髪結処サワイイ」で8年間美容師としての腕を磨く。
92年「アトリエIKKO」を設立し、ヘアメイクアーティストとして活躍。「女優メイクといえばIKKO」と言われるほどの評価を得る。以後、雑誌、書籍、TV、CM等に活躍の場を広げ、コスメティックやファッションの分野でも情報発信を続ける「美容家IKKO」として幅広い世代に支持されている。

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